職歴 – A社

20歳でブラック企業IT企業に就職。派遣先やら請負先(いずれも多重構造の末端)で駆けずり回る日々でした。東京に本社のある会社の名古屋の小さい拠点。拠点を牛耳って仕切っているのは、大口取引先企業から左遷もしくは早期退職させられた惜しまれつつも割愛人事で当社に天下り待遇で着任する法人営業崩れ経験者でした。


20歳の夏に、ほぼ新人ばかりのメンバーだけで「伊賀上野市(そんな市は今も昔もありませんが、営業はずっとそう言っていた)」に7か月の長期出張に。運用補助要員として参画・契約していたにもかかわらず、最後はプログラム開発をやらされました。職場にユーザ団体からの内容証明が届き「今開発中の補助システム(※私が作ってるツールプログラム)が今年度末までに満足に稼働しなかったら、契約不履行で津地方裁判所に提起する」という脅し文句で背中を押されながら、かつ、常駐先会社のプロパーからは、一緒に常駐していた同期社員(契約打ち切りで帰らされた)の悪口や、私の会社の悪口を、私に聞こえるようにゲラ笑いしながら言ってくる、という状況で、二重苦でした。具体的には「あいつ使えなかったなw」「使えないやつばかり送り込んでくる詐欺会社だな」などです。私に対する応対は、「よう詐欺会社!今日も詐欺ってるか?」などと笑って挨拶してくる始末でした。

さすがに我慢の限界でした。しかし、営業に相談しても「開発させてもらえるだけでありがたいと思え」「どうしても抜けたければ、仮病でも何でもいいから医者に診断書を書いてもらえ」というばかりで、話は通じませんでした。

そのプロパーらの本来業務は法人営業なので、非エンジニアです。所定の手順を踏めば、DBからCSVにデータをエクスポートすること自体も造作ないことなのですが、その人たちは3万人分のデータ(CSV)を画面に一度表示して、リダイレクトでCSVファイルに落としていました。CSVを1ファイル作るのに、5日ほどかかっていたでしょうか。それで「俺たちは徹夜ですごい仕事をやっているんだ」という態度です。なお、そのプロパーらが深夜まで残業してやっていたことは、インターネットの海外サイトにアクセスしてエロ動画を私物PCにダウンロードする、という内職でした。

順番は前後しますが、紙台帳の打ち出しと製本を延々と夜通し命じられていた同期社員は、徹夜開始から2週間ほどたったある日の朝、失神して倒れました。当然救急車を呼びましたが、プロパーからは心配の言葉は一切なく「こんな忙しい時に倒れられていい迷惑だ。」「救急車を呼んだことが組合にばれた。言い訳を考えねばならない。どうしてくれる。」などといった言葉ばかりを投げかけられました。救急車の中でも私とプロパーの言い合いは続きました。自社に電話をして「徹夜勤務の連続で倒れた」と報告したら「徹夜は命じていない。仮眠をしながらと命じたのに、従わなかったのだから、本人が悪い!」などと罵声を浴びせてきました。この光景は、20年以上たった今でも鮮明にフラッシュバックします。

ちなみに、常駐先企業までの間に会社が6社間に挟まっており、7重派遣状態でした。なので、苦情を言っても、悩みを言っても、何も通用しません。さらに言うと、たぶん死人が出ても責任関係が不明確で、みな「うちは悪くない」というような状況でした。

年末に自社に命からがらで帰社すると、営業や先輩社員から「お前らいるだけで赤字なんだ」というハラスメントありがたい叱咤激励のお言葉を多数いただいたことを覚えています。


22歳の10月から従事したプロジェクトが荒れ果てていて、打ち合わせ中に「罵声が飛ぶ」「空き缶・ペットボトルが舞い飛ぶ」「机をけり倒す」などの状況で、2か月もたたずにうつ病になるも、抗うつ剤と抗不安薬をMAX量飲みながら勤務を続け、ある時、月間稼働時間が427.50時間に達しました。深夜や早朝に取得可能とは思えないような休憩時間が設定されている客先だったので、24.00時間勤務したとしても、20.50時間しか請求できない(勤怠を付けられない)仕組みでした。なので「かける分だけ」を申告したうえでの427.50時間です。

さすがにしんどかったので主治医(精神科医・H.M)に出勤表を見せて「こんな風です」と告げるも、「証拠を捏造してまで会社批判するなんてありえない!私はあなたを軽蔑する!」と言われて信じてもらえず。これ(虚言と判断された)が原因なのか、その後の医師にも「嘘大げさをいう癖がある」と思われている(引き継がれている?)ようです。


上記プロジェクトを終えてようやく、落ち着いた、平和な、技術交流も新しい技術のキャッチアップもできる現場に配属されました。某パッケージシステムの新規バージョン開発で、UNIX(COBOL)/WINDOWS(VB)/SQL(Oracle)という環境。プロジェクトは炎上しておらず、徹夜もない、殴り合いのけんかも勃発しないし、無理な仕様追加も、それを拒んだがゆえに鉄拳制裁(=グーパンチ)をされる、ということもない、それはそれは平和な環境でした

それもつかの間、営業担当が交代。今度は訳ありで大口取引先を早期で退職させられた割愛人事された人物でした。2004年の12月、突然私のところに前記営業から電話がかかってきて「お前、そんな会社の仕事しててつまらんだろ?もっといい会社に行かせてやる」と一方的に言われました。私は「翌年3月まで私のスケジュールが引いてあり、契約も残っている。すぐに他社に移るのは無理では」「今の現場で初めて、1から開発に携われている。トラブルもない。せめて契約満了までいさせてほしい」と告げましたが、営業の回答は「俺に逆らうのか!お前にとやかく言う権限も営業権もない!そんなクソ顧客は今月末で退場させる」と言って、一方的に電話を切られました。

その日から私および顧客は営業から目の敵にされました。具体的には毎日のように「お前はだめだ。俺に逆らうなんて100年早い。服従しろ」などという罵声電話がかかってきたり、顧客先の営業担当者を自社の事務所に呼び出して「契約破棄をさせろと迫って恫喝してやった」(営業自身の談)、顧客先の顧客先(=常駐現場)にまで毎日のように嫌がらせ電話をして「早くうちの社員の契約を破棄させろ」「さもないと痛い目に遭う」「応じないなら裁判だ」などと恫喝(会社コンプライアンス役員曰く「通常の商習慣における交渉」とのこと)を繰り返し、業務妨害をするなどと、私も派遣先もめちゃくちゃにされました。

その年の忘年会で自社に帰ったら「お前、どうしようもなくショボいプロジェクトに言ってるんだって?」「M山さん(営業)の言うことが聞けないなら、お前なんてやめちまえ!」「お前とその同期社員は、全員使えなくて拠点のお荷物だってみんなが言ってるぞ」などの暴言を、同期社員を除く全社員から次々に浴びせられました。こんなことを仕組める人間は、営業のM山以外に存在しえません。社員はばらばらに客先に常駐していて、年に1~2度飲み会で会う程度、共通の話題を同時に一度に広められるのは、中心にいるM山だけです。

私はM山に「どうしてこういう仕打ちをするのか」と問いました。M山は「俺に逆らうからだ」とニタニタ笑いで答えました。私の当時の顧客先・仕事については「どうしようもなくくだらなくて価値がない仕事」「そんなショボい客先、取引するに値しない」などと喚きだしました。そして「そんなにその会社がよければ、いつ辞めてもらっても結構」と言われました。周囲の社員も「お前なんてやめちまえ」「そんなショボい会社がよければ転職して一緒に沈没しろ」などと言われました。

私が「根拠があってそういう批判・非難をしているのか。調べたうえで事実に基づいて顧客批判をしているのか」と問うたところ、M山は大きな声で「そんなモン、調べていないし、調べる価値もない。ショボい会社とショボい仕事を批判して何が悪い」などと大声でわめきました。周囲の社員はそれに同調してパチパチと手を叩いて笑っていました。

年が明けた2005年1月、私はM山に連れられて新たな現場の面談(派遣における事前面談は違法です)を受けました。その場で合格を言い渡され、同年2月から来てほしい、と言われました。その日を境に、私および当時の顧客への攻撃はさらに激化し、顧客の営業担当者も精神的に参ってしまう状態でした。このような行為はやめてほしい。営業妨害だし強要だし、契約違反だ、と私が顧客から怒られました。


2月からの現場には、自社の中堅社員が先に入場していたのですが、評判が悪く(平たく言うと使えない)、同じ会社のやつか、とう評価でした。一緒に仕事することになった他社社員N.K(年上ではあるが、大卒新人なので経験は浅い)には、初日から「このファイルの先頭1バイトの区分が1なら〇〇、2なら△△。こんなの常識だろ。なんでそんなことも知らないのか。この業界に何年いるのか?」となじられました。念のためもう一度言っておきますが、初日にです。しかも、そのシステム固有の仕様です。

「区分が1ならとか2ならとかは知らないです。私はこのファイルは今日初めて見たので。これは常識とは思わないです。」と答えてしまいました。これがきっかけで、Nに目を付けられてしまいました。

自社でのM山とのトラブルに加えて、客先Nとのトラブル。詳細は書けませんが、某超大手金融機関のシステムの現場でした。最初は単に情報系の仕事、と言われたのですが、1か月もたたずにシステムの統合プロジェクトにNと一緒にアサインされてしまいました。

自宅から1時間以上かかる通勤に、ストレスの多い仕事、Nからのねちねち攻撃、休憩所に行ったらいつも誰かが号泣してる。そんな現場でした。

忙しいさなかでもM山からの恫喝電話はかかってくる、Nには仕事に協力してもらえない(共同作業者なのに)、挙句に、定時退勤日に合わせて通院予約をしていたので帰宅しようとしたら、プロジェクトの偉い方やNの上司、Nから「定時退勤日は定時でかえっていい日であって、定時で帰らなければならない日ではない」「そもそも平日に通院日を予定いしていることが間違い」などと言われて、通院をも却下される始末でした。

派遣元責任者のM山にも相談しましたが、案の定無駄でした。具体的には「そんなこと、俺の知ったことか、そういうのはお前が現場でどうにかしろ」と言われてしまいました。同様の相談を口頭(電話)ではなく、メールで送ってみました。そうしたところ、M山は一字一句読まず、また手を加えず、顧客先にメールを転送してしまいました。

翌朝、すごい形相の業務責任者とNの上司(社長)から別室に呼ばれて、「お前の勝手な言い分が事実のように独り歩きしている。いい迷惑だ。二度とこんな真似するな」と一喝されました。この結果をM山に伝えたところ「結果はどうあれ、俺はやるべきことはした。どうなっても俺の知ったことじゃない」と言い放ちました。会社のコンプライアンス委員会担当役員は、のちに「彼の行いは適切ではないが、法に反するものではないので、コンプライアンス上の問題はない」とだけ評価しました。


そして私は壊れ果て、2005年8月1日から仕事を休職することとなります。

具体的には、もう死ぬことしか頭から離れなくなり、退職することしか考えられず、M山にもその旨伝えていました。M山は開口一番「ふーん、やめるんだぁ、残念だなぁ。いやぁ、実に残念だ。で、何月何日付でやめるの?」と、棒読み口調で告げてきました。

上記を主治医(精神科医)に告げたところ、辞めるんじゃなくて、休みなさい。診断書を書くから。と言ってくれました。

診断書と退職届をもって会社に出向きました。狭い事務所でM山と二人きりでした。一方的に30分ほど恫喝されたのちに、じゃぁ、退職の手続きするか!と言われたので、医者から診断書が出ています。休めと言われました、と言いました。口頭では恫喝をしていたM山でしたが、診断書を前に無理はできないと悟ったのか、しぶしぶ休職は受け入れられました。


そのあと、幾度かの復職と休職を繰り返しましたが、最終的に「会社とつながりを持つ限り、病気は治らない」と判断して退職しました。2009年9月のことです。

なお、この当時の主治医には

「いいか!よく聞け!お前が勝手に辞めたんだからな!俺はやめろなんて言ってない!わかったな!」

「裁判になっても俺は証言しないし、できない!」(私が何も言ってないのに)

などと悪態をつかれました