弁護士・労働弁護団は信用できるか?

弁護士・労働弁護団は信用できるか?

人によって良い思いをした人もいれば、二度と関わりたくない、という思いをした人もいるかと思います。私は後者です。弁護士会主催の有料弁護士相談で、とても嫌な体験をして、解決しなかったばかりか、最悪の事態に至りました。ですので、弁護士という人種を信用できませんし、軽蔑すらしています。
労働弁護団、と呼ばれる労働問題を専門的に扱う弁護団の存在を知る方も多いでしょう。では、彼らなら信用できるかというと、経験上、必ずしもそうではありませんでした。

エピソード1

当時私は、新卒入社した会社のパワハラ上司(派遣営業兼営業所長兼役員)からの恫喝的言動や仕事の妨害行為、いわれなき悪評の吹聴といった被害を受けており、心身の健康を害して休職していました。
当のパワハラ上司に、恫喝言動や仕事の妨害をやめてくれといったところで収まらず、東京の本社に内部通報したところ、コンプライアンス担当役員が形式上だけ聞き取りを実施し、上司の言動を不問としようとする会社の姿勢に疑問を感じていたからです。
当時の私は、パワハラ上司の恫喝やコンプライアンス担当役員の暴言ともいうべき言い分が頭から離れず、混乱していたと記憶しています。

愛知県県弁護士会の有料相談

2009年7月某日、愛知県名古屋市中区の中日ビル内の弁護士会相談コーナーにて、30分5000円の有料弁護士相談を依頼しました。
誰の言うことも信用できず、当時の主治医にすら「お前がおかしい」「お前が悪い」「他罰的。自分が悪いと思わんのか?」などと暴言を吐かれていました。
私は弁護士と合う時も「暴言を吐かれるのでは」「弁護士の言うことを曲解してしまうのでは」などと思っていました。そこまで人間不信、自分の言動を否定されたことに伴う自信喪失をしていたのだと思います。
出てきた弁護士は30代半ばくらいの弁護士でした。弁護士に対して「相談の様子を録音させてほしい」と申告しました。
すると弁護士は鬼の形相でICレコーダーを奪い「なんて奴だ!こんなことをするなんて!」などと言いました。ICレコーダを取り上げたうえで、弁護士の独演会が始まりました。
私の困りごとに対する弁護士の回答は下記の通りでした。

  • 謝罪?補償?バッカじゃないの?笑わせんなよ。
  • 労働案件なんてのは相場が安いの。せいぜい十数万円。わかる?
  • そんなやっすい案件、引き受けてくれる先生なんていると思うか?絶対、い・な・い・よ!(ゲラゲラ)
  • これ(ICレコーダー)で会社とのやり取りを盗聴しろ。
  • せいぜい自力で頑張りな。さようなら。
    ここまで一気に言われて、ICレコーダーは手元に戻ってきました。
    弁護士に尋ねました。「だったら、あなたとの会話も盗聴しておけばよかったのですか?」と。
    弁護士は「そういうこったね」と回答しました。
    私はこの弁護士の「安い案件だから引き受けてくれる先生なんているはずがない」という言葉に落胆し、それ以上他の弁護士を探して相談することをやめました。
    その後、会社からは「暴言は言葉の問題であって違法ではないので、コンプライアンス上何ら問題ない」などという回答が口頭でもたらされ、私は体調をさらに悪化させ、失意の念を抱きながらやむを得ず離職をしました。

日本労働弁護団

困り果てた私は、本で存在を知った「日本労働弁護団」に相談電話をしました。が、返ってきた言葉は「辞めてから相談されても遅い」の一言でした。

愛知県弁護士会苦情窓口

前述した弁護士からの「安い案件」などといった言動があまりにひどいと感じたので、私は愛知県弁護士会の苦情申告窓口に電話で苦情を入れました。窓口担当者(名乗れないが、複数人いる弁護士会副会長の一人、とのことでした)が応対しました。
副会長曰く「そのような対応は事実だとしたら不適切」ということでした。ついては、聞き取り調査をして必要に応じて弁護士の処分を行う、とのことでした。
しかし、弁護士会からもたらされた回答は、下記の内容でした。

  • 本人はそんな出来事なかったといっている
  • そこまで言うなら証拠を出しなさい
  • 証拠が出せないなら何もできない
    会社からハラスメントを受けて傷ついてボロボロになった私には、あまりに過酷な回答でした。

エピソード2

上記出来事から約10年、私は再就職した先の会社を、不本意な形で自己都合退職していました。
エピソード1の事件を経て、私には精神障害が残ったので、会社には障害者として雇用されていました。
入社当初は、その会社の自宅至近の支店に勤めており、そこで5年間、経理・総務・庶務として勤めてきました。
しかし、そこの拠点で勤めていて病気休職していた正規職員が、その拠点の経理職として復職する、という経緯があったことと、私自身が非正規社員(契約社員)だったことから賃金が安く困窮していたことから、名古屋駅の本社転属と引き換えに昇給をしてもらえることとなり、私はその話に乗って名古屋駅の本社に転勤(契約変更)しました。
ところが、その本社は紙とペンと電卓で経理業務を行っており、また、他の障害者には期限もない、遅れても、なんならやってもやらなくてもいい仕事が与えられており、拠点とは別世界が広がっていました。
また別の機会があればその部署の詳細は書きますが、今回はそこには触れません。
私は自身に引き継がれた仕事(紙とペンと電卓で運用していた経理照合)を電子化することで、月の後半から月末まで半月ほどかけてやっていた手作業を、月末営業日に5時間ほどPCで作業すれば完結するように業務効率化しました。その結果、前任の派遣社員から引き継いだ仕事の大半が省力化され、暇になってしまいました。
業務効率化については、当初は経理課長が「いいぞ、もっとやってくれ」と言っていたのですが、さらに効率化を進めると、正規職員の仕事をも脅かす、と判断されたのか「君はもう何もしなくていい」と言われ、空いた時間を埋める仕事も与えられないまま、放置されました。最終的に私は、経理をも外され、一人でIT専任担当となりましたが、日々の仕事がなく、事実上何も仕事がなくなりました。経理で仕事が減って、暇を持て余すようになって以降、1年ほど仕事はどんどん減り(効率化で自身で減らした、ともいう)、いわゆる「干された」状態となりました。1日の最初にEXCELマクロを実行してファイルを保存。これを8~10分かけて実施したら、そのあとの7時間半は何もやることがなく、次第に胃痛などの症状が出るようになりました。
人事に言っても、他の閑職を提案されるばかりで、仕事がないことへの対策が取られることはありませんでした。私はやむを得ず、その会社を退職しました。
その離職後、いくつかの会社を受験し、入社面接に臨んだり、採用されて出勤したものの、いずれも「障害者であること」に起因する会社側起因の出来事によって、不採用となったり、病気を理由に事実上の解雇をされています。
その後、新型コロナウイルスが蔓延し、数年間は障害者の働き口が本格的にない(本当に求人がないのです)状態となりました。
私はこれらが原因で家庭不和となり、離婚をし、収入も仕事もないまま独居生活をしました。一番ひどいときは、手持ち現金と預金残高を足して、総資産が5万円を割り込みました。本気で、生活保護の受給を検討しましたが、生活に必要な軽自動車をも所有できなくなると知り、その時は受給しないという選択をしました。
生活保護を受給する前に、せめて私をクビにした会社から債権回収をしよう、と考えた私は、会社を労働局の個別紛争解決制度「あっせん」を使って提起しました。
3社に対してあっせんを提起し、2社とは金銭解決となり、収入(本来もらえるはずだった解雇予告手当に相当する金銭)を得ました。
しかし、エピソードの頭書で書いた会社だけが、あっせんに出席したものの「話し合う必要も、話し合う余地もない」と主張して、実際に話し合いが成立しませんでした。そのため、会社との労働審判を提起しようと、日本労働弁護団に相談することとしました。

日本労働弁護団

前置きが長くなりました。日本労働弁護団に電話をして、ことの経緯を告げました。そうしたところ、予想外の回答が返ってきました。以下のような内容です。

  • 会社が仕事を与えなかったというが、仕事を減らす、もしくは与えないのは、あなたの障害に対する配慮なのだろう
  • 会社には賃金を支払う義務はあるが、社員に仕事を与える義務はない
    あまりにも会社の肩を持つ言い分を展開するので、私が苦言を呈したところ、弁護士は続けてこういいました。
  • 私を信頼できないということであれば、これ以上話をしても無駄だし、これ以上相談に乗る筋合いもない。
  • 二度と電話してこないでくれ
    上記の後、弁護士は一方的に電話を切断しました。
    私は再び電話をかけなおしました。が、ただでさえ相談電話が殺到していて話し中が多い中、呼び出し音が鳴って着信しても、電話に応じてもらえなくなりました。おそらく、事務所の電話機に「迷惑電話」「クレーマー」などとして登録されたのでしょう。その後今日に至るまで、日本労働弁護団からは電話の応答拒否、もしくは一瞬応答してすぐに切断する、という対応をされています。

まとめ

上記2エピソードから、弁護士、弁護団が役に立つかどうか考えると、必ずしも役に立つと言えないし、味方をしてくれるとも限らない、という感想です。極端な体験をしましたが、これが私の体験に基づく感想です。